2017年3月25日午前8時30分。
当時28歳になったばかりの私はオーストラリアのゴールドコースト空港に降り立った。
ろくに眠れなかった飛行機の中。私は、ずっと夢だったワーキングホリデーをするんだ。今から。
空港スタッフに送迎バス乗り場の場所を聞いた。英語の難しさに、早くも直面した。
ホームステイ先に向かうバスの中、目の前に広がる壮大な景色に感動した。
「私、本当にオーストラリアに来たんだ!」
この時のドキドキも、ワクワクも。今でも昨日のように思い出せる。
30歳になる私は、もうすぐ2年間のワーキングホリデーを終える。
カフェでコーヒーを注文するのも、英語の電話を取るのももう怖くない。
家に帰ると、笑顔で「おかえり」と言ってくれる大好きなパートナーがいる。
ワーホリに来なかったら、私はこの人に出会うことはできなかった。
私は、今とても幸せ。
心から思う。
28歳のとき、オーストラリアに旅立つことにして本当に良かった。
この2年で私は、一体どのくらい成長しただろうか。自分でも、自分の成長をすごい感じる。
これからワーホリや留学に飛び立ちたい人のために。私のワーホリ2年間を時系列で全部!振り返ります。

2017年3月 スローライフが似合う街、バイロンベイでワーホリスタート
現地エージェントなんてない。自分でなんとかするしかない街
ワーキングホリデーを始める入国都市は、いわゆるオーストラリアの中ではど田舎に分類されるバイロンベイにしました。
当時湘南の茅ケ崎で生活していた私は、始めたばかりの趣味「ボディボード」に夢中で
オーストラリアに行っても毎日海に入ってボディボードを練習したい!と思っていました。
オーストラリアでサーフィンができる人気都市といえばゴールドコーストとバイロンベイで
「東京よりも湘南の雰囲気がすき。都会は嫌なんです。」
そう担当カウンセラーに相談したら「だったらバイロンベイは最高だと思いますよ」と勧められました。
結果的にバイロンベイを選んだことは大正解だったと思います。
私が使ったのはオンライン完結エージェント。最低限のサポートと、学校の手続きとビザ申請のサポートだけしてもらいました。
もちろん現地オフィスなんてないので、到着してからのお世話は一切なし。
ゴールドコースト空港に降り立ってからホームステイにつくまで、
そしてホームステイについてから学校に入学するまで、
私はバイロンベイで日本人に会えなかったし、日本語を発することもできなかったのです。


「私、本当にオーストラリアに来たんだ」そう感じました。
今私はシドニーで生活をしているので、もしシドニーでワーキングホリデーを始めていたらこんなふうにサバイバルなワーホリを味わえなかったことも知っています。現地に日本語のサポートがある大都市でワーホリを始めた場合、到着した瞬間から日本語の送迎やサポートがあるから。
2・ビーチでiphoneを盗まれたときに警察へ。被害届の電話をさせられ、全然わからない英語に撃沈
3・求人サイトがろくにないので日本語で仕事は探せない。レジュメを配り歩くのみ!
バイロンベイならではの「自力で英語で頑張るしかない環境」は、私にとって「ワーホリに来た!」と実感させてくれた。そして何をするにも自分で英語でチャレンジすることができた。これは、やっぱりすごくいい経験でした。
バイロンベイ語学学校BBELSで3ヶ月英語学校に通う
ワーキングホリデーで最初に学校は、バイロンベイのBBELSにしました!
バイロンベイイングリッシュランゲージスクール。バイロンベイの中心部にあり、個性豊かな生徒が世界中から集まっていいます。
今となっては、シドニーのあらゆる語学学校を知っていますがどの学校よりもやっぱりBBELSは魅力的だと思います。学費はそこそこ高いけど、それでも通う価値があります。
学校の中に、美味しいコーヒーが飲めるカフェがあって。
開放的なテラスで自然を味わいながらクラスメイトとおしゃべりしながら休憩して。
テラスにある大きなボード置き場に、サーフィン好きな生徒はみんなサーフボードを持参して。
15時に学校が終わったらその日いい波が立つビーチへみんなで行く。
…最高ですよね?


放課後みんなでサーフィンに行ったバイロンベイの「THE PASS」
波をキャッチしているときに、沖に向かうBBELSの生徒とすれ違うことがたくさんありました。
「いい波とったね!ヒュー!」
みんなでバイロンベイの波の良さを共有できるのは、本当に気持ちよかったな〜♪
筋金入りサーファーのホストファザーとも、海の中でよく会ったっけ。
放課後バイロンベイの「THE PASS」や「THE WRECK」で波乗りをしながら見るサンセットが本当に大好きでした。


ワーホリ開始後3週間でジャパレスの仕事を開始!
ワーホリで始めて挑戦した仕事はジャパレス。資金ギリギリでワーホリに来ていた私は、「働かないと死ぬ!」と思っていたので、ワーホリについて割とすぐにレジュメの準備に取り掛かりました。
そして3週間ほどした頃、バイロンベイのレストランにレジュメを配り…運良く3件目でその場で面接してもらえることに!そしてなんとその翌日から働いていました。
ジャパレスといえどホールスタッフだったので、接客や電話で強制的にかなり英語を鍛えられる英語環境でした。
従業員はみんな日本人でしたが、バイロンベイという土地柄もありお客さんもほぼオージー。
(シドニーのジャパレスは、中国人や韓国人などアジア人のお客さんも多いです。バイロンでは本当にオージーばかりでした)
仕事では最初は失敗ばかりしたり、怒られたりして凹むことはたくさんあったけれど、「仕事をしてはじめて身につく英語力」っていうのは間違いなくあると思いました。
学校に行きながらだったので、勉強した言い回しはすぐにお店で使いました。そして、お店で言えなかった説明は帰宅した後調べて練習して、次からは言えるようになど地道に頑張りました!今思えば、この頃の経験も全部今に活きているなぁとしみじみ感じます。


2017年7月 バナナファームへ飛び立つ
「寒い冬を暖かく越したかったから」ケアンズ近くの「タリー」へ


バナナの街タリーの田舎道
日本とは真逆の季節のオーストラリア。バイロンベイの語学学校BBELSを卒業し、6月をむかえだんだんバイロンベイも寒くなっていました。大好きな波乗りも、あまりの海水の冷たさに「オーストラリアの冬の海…冷たすぎない?無理だ…暖かいところにいきたい」と思いました。
最初は学校が終わったらゴールドコーストで仕事を探すか悩んでいたのですが
「せっかくワーホリ来てるし、ファームもやってみたいな!」と思いノリでバナナファームへ。
バナナファーム関連のシェアハウス求人を偶然日豪プレスで見つけ、ケアンズの近くのタリーという街に興味を持ちました。
「ケアンズならあったかいし楽しそう!行ってしまおう!!」
と、本当にノリと勢いでファーム行きを決めました(笑)
何を隠そう、当時私はワーホリを1年で終える気満々だったしセカンドワーホリビザに関してもあんまり興味がありませんでした。ファームに行くのは、とりあえずお金を貯めるため。そして、寒い冬を暖かく越すため。でした(笑)
バナナの街タリーでは、仕事をGETされるために行われる風物詩「ジャンピング」などなど、面白い人生経験が本当にたくさんできました。いやー、人生の中で本当に濃い4ヶ月間でした。






遠距離の彼との別れ。
ファームについてすぐの頃、ワーホリに来てから胸にモヤモヤとあった恋愛を手放すことを決意しました。
それは、日本にいた頃から付き合っていた彼との別れ。
遠距離恋愛が難しかったこともありますが、別れの原因はそれだけではありません。ここですべて語ると文字数が足りないので割愛しますが、本当に悩んで出した結論でした。
「ワーホリで遠距離してるカップルなんて、ほとんど別れるよ」
そう忠告されることはあっても、なんだかんだで他人事のように感じていました。
そしてバナナファームの街タリーのパブで、私は荒れました。(笑)
お酒が弱いのに、ジャグビア(ジョッキのビール)を1人で2杯飲んだり
「飲まなきゃやってらんないよ〜!」と言ってフロアの真ん中で踊り狂ったり。(それを見て外人の友達は笑っていたw)
今思い出しても、ようあんなに毎週のようにパブに繰り出したなあと思います(笑)


素敵な仲間たちとの出会い。そしてセカンドビザを取ることを決意
バナナファームでは、本当に素敵な友人にたくさん出会いました。
日本人のシェアメイトは親友と呼べるくらい仲良くなりました。
同じファームのイギリス人・アメリカ人・フランス人・オージーの女の子も何でも話せるくらい本当に仲良くなりました。
そしてみんな「もちろんセカンドビザのためにバナナしてるのよ!」と口を揃えて言っていて
「セカンドが取れるまであと35日!」みたいにみんな必死にカウントしてたんです。
そこで私も「せっかくバナナファームに来たし、セカンドビザ取って2年目もオーストラリア生活しよう!!」と思ったのでありました。
そしてセカンドを取ると決めてからは、バナナファーム生活が楽しい楽しい!
毎日手帳に斜線を引いて「セカンドが取れるまであと◯◯日…」と数えていました。
バナナファームは優良ファームだったので、1つのファームで88日以上働く必要はなく
66日間働けばセカンドビザが取れるようになっていました。私は結果的に74日でセカンドビザをGETしました♪
バナナファーム生活ブログはこちら
バナナファームでの生活や、お給料のこと、ファームの探し方などは過去ブログでまとめているので
ぜひこちらをご覧ください!










そしてその後…大都市シドニーへ
ファームの後は、パースへ行くかサンシャインコーストへ行くかはたまたシドニーへ行くか迷っていたのですが…
ある日バナナをもぎながら仕事仲間の子たちとこんな会話になりました。












みたいな感じでファームの後はシドニーに行くことに決めました(笑)
バイロンベイを出るとき、バイロンベイに戻るために荷物を置いていくことも考えたのですが
「このまま他の都市に行くのもありだな」と思っていたので私はバイロンベイから荷物を全部持ってきていたのです。これが、結果的に大正解でした。
このときは、まさかシドニーにこんなに長くいることなんて想像もしなかったわけです。。。
では、シドニーでのセカンドワーホリ編は次回に続きます。
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