東京生まれの私が湘南・オーストラリアへ移住したきっかけ【パニック障害】

こんにちは、シドニー在住ブロガーのAyaka(@ayaka_minty)です。

東京生まれ東京育ちの私が「湘南・茅ヶ崎」「オーストラリア」と2つの場所に移住した経緯。

今回はなぜ私が「東京から出たい」と思ったのか。そのきっかけについて書いていきたいと思います。

目次

東京生まれ東京育ち。東京以外での生活なんて考えもしなかった

西東京という、23区外の東京都郊外で生まれ育った私。

都心へ通勤する両親の姿を見て育ち、東京で生きていくことが普通で当たり前だった私にとって、「東京から出る生活」なんて20代になるまで考えたこともありませんでした。

18歳の頃、高校の同級生がみんな車の免許を取る中で「ま、私は東京から出ないし取る必要なんてないでしょ〜」くらいに思って免許も取らなかったくらいです。(オーストラリアで暮らす今、猛烈に後悔していることは言うまでもありません!)

「好きなことで生きていく」母の姿に憧れていた

10代の頃はダンスに没頭、20歳でアパレル業界に就職

母が舞台衣装を制作するアトリエを自営しており、デザイナー・パタンナーとして活躍する母の背中を見て「好きなことで生きていく」ことにずっと憧れを抱いていました。

母はファッション業界にいたからか、「全員同じスーツを着て個性を消して就職活動をする風潮が私には理解できない!」といつも言っていました。(笑)

そんな母の元育ったからなのか、「私もお母さんと同じように、好きなことで生きていきたい」というスタンスは小さい頃からずっとありました。

そのため大学へ進学することもなく、私は10代の頃は大好きなダンスに没頭していました。

10代の頃は実家でのーのーと暮らしていればよかったので、たまにダンスのオーディションを受けたりダンスの先生がお休みの時代講をやらせてもらったりと、「プロのダンサー」になる道に憧れも抱いていました。

しかし、ちょうどとあるオーディションに受かった時に東日本大震災が起きて、その受かったオーディションの話も全部パーになってしまったことがありました。

当時やっていたバイトも削られてしまい、このままでは生きていけない…自立しなくては!と、20歳だった私はダンスと同じく大好きだった「ファッション」の道に進むことを決意しました。

あれよあれよとアパレルプレスにまで昇進(笑)

アパレルに足を突っ込み始めた頃はまだダンスと2足のわらじをしていたのですが、想像以上にアパレルの仕事が楽しかったため、派遣社員で入ったのにあっという間に正社員になってしまいました。(笑)

店舗での売上が良かったので、社長に声をかけてもらいなんと「プレス」というアパレルの花形にまで昇進してしまったのです。

華やかでやりがいがあって大好きだった「アパレルプレス」の仕事

プレスになってからは、毎日大変でしたが仕事は本当に大好きでした。

「私はこの業界でプロになる!」と気合いを入れていたので、毎日死に物狂いで働きました。

当時まだ20代前半だったのですが、お客さんであるモデルさんや雑誌の編集者さん、そしてスタイリストさん達と対等に仕事ができるように毎日大人っぽいメイクと服装で出勤していました。

雑誌のスナップに呼ばれたり、ブランドのレセプションパーティーをはしごしたり、まさに華やかな世界でした。

当時憧れの上司もいたので、このときもまだ全然東京から出ることなど全く想像もしていませんでした。

「私はアパレルプレスとしてもっと有名になって、都内のタワーマンションに部屋を借りて住むんだ♡」

くらいに本当に思っていました。(笑)

25歳でパニック障害を発症、26歳で退職

仕事は大好きだったにもかかわらず、想像以上に大変だったアパレルの仕事。

ある程度責任も大きかったし、当時は色々と悩みも多く、ある日突然オフィスで「パニック発作」が起きました。

今思えば、かなり無理をしていたんだなぁと思います。が、当時の私は自分の限界なんていうキャパは分かっていなかったんですよね。

その後もしばらく仕事を頑張っていたのですが、パニック障害は日に日にひどくなっていってしまい、結局休職を経て退職をしました。

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すべてを失い完全なうつ状態へ

パニック障害の症状は一向に良くならないし、大好きな仕事も夢も失ってしまってボロボロだった私。

本当に途方に暮れていました。

意気消沈していた私はそのときにはじめて「ワーキングホリデー」という制度を知りました。

AYAKA

そうだ、どうせなら海外で生活しちゃおう!!

と思ったのが、「東京から出たい」と思ったはじめてのきっかけです。

「海の近くに住みたい」と強く思うように

「ワーキングホリデーに行きたい」と思ったものの、当時の私はまだパニック障害の薬がないとまともに生活ができず、今すぐに出発できるような状態ではありませんでした。

当時、東京の満員電車や人の多さにうんざりしていた私は「海の近くに住みたい」と強く思うようになりました。

そこで私は、「とりあえず10日間くらい海の近くに暮らしてみたい」と石垣島に飛び立ちます。(笑)

この石垣島・八重山諸島での旅が私の人生を変えることになるとは、露知らず…。

石垣島1人旅体験につづく

長くなってしまうので、次回のブログに続きます♡

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