「マテリア・メディカ」ディオスコリデスは何をした? 【アロマテラピー検定・歴史対策ノート】

ディオスコリデスは、「マテリア・メディカ」を著した古代ローマ時代の博物学者です。

ローマ帝国のネロ皇帝につかえた軍医として有名ですね。一体、どんな人物なのでしょうか?

目次

※アロマテラピー検定1級では必須暗記項目です!!

AEAJのアロマテラピー検定ではディオスコリデスはとても重要な人物です。必ず暗記しておきましょう。

ディオスコリデス=軍医=「マテリア・メディカ(薬物誌)」という3点だけは必ず頭に入れておきましょう。

◆ディオスコリデス(40〜90年)

出展:Wikipedia

ペダニウス・ディオスコリデスペダニウス・ディオスクリデス(Pedanius Dioscorides 古希: Πεδάνιος Διοσκορίδης40年頃 –90年)は古代ギリシア医者薬理学者植物学者である。薬理学と薬草学の父と言われる。[1]小アジアのキリキアのアナザルブス(Anazarbus)の出身で、ローマ皇帝ネロの治世下の古代ローマで活動した。

ギリシア・ローマ世界の至るところで産する薬物を求めて、おそらく軍医として方々を旅する機会があり、その経験を活かして本草書『薬物誌』(『ギリシア本草』[2]とも)をまとめた。ディオスコリデス自身が「理論より事実を、書物より自分の観察を重視して編集した」[3]と記している通り、非常に明快で実用的な本草書であり、ガレノス医学と並び、1,500年以上の長きにわたり西洋の薬学医学の基本文献だった。明治薬科大学大槻真一郎は、『薬物誌』を中国医学最高の本草書と比し、「西洋本草綱目」と呼んでいる[4]

ディオスコリデスの著作は他に、単味剤をあつかった小論があったといわれている[4]

出展: Wikipedia

ディオスコリデスは、小アジア南部の出身で、医学について学び、ローマ皇帝ネロの時代にローマの軍医になりました。彼は、ローマ軍の遠征を機会として帝国内の広い地域を訪れ、各地で入手した植物を利用して研究を行いました。

出展: ハーブのミュージアム

『薬物誌』とは

ディオスコリデスは、全5巻からなる『薬物誌』または『ギリシア本草』(古希: Περὶ ὕλης ἰατρικής)を、母語であるギリシア語で著した。日本では、ラテン語版のタイトル : De Materia Medica libriquinque (逐語訳:「医薬の材料について」五書)を略して『マテリア・メディカ』とも通称される[5][6]ガレノスが著書で、最も完全な本草書と称賛しており、1世紀後半に書かれたと思われる[3]。100年後の起源2世紀の終わりには、ローマ世界に広く浸透した[4]

出展: Wikipedia

ディオスコリデスが植物の研究を集大成したものが、『薬物誌』(『マテリア・メディカ』)です。

この『薬物誌』は、約600種もの植物について特に医薬的な効能に着目して記述したもので、薬草についての集大成といえる書物です。

『薬物誌』は、これ以後のヨーロッパで、古代から中世・近世まで1500年ほどにもわたって薬草の資料として使用され続けました。こうして薬学の発展において大きな貢献をしたことから、ディオスコリデスは『薬学の父』とも呼ばれています。

出展: ハーブのミュージアム

ディオスコリデスは”軍医”

ディオスコリデスで覚えておきたいのは、「古代ローマ時代の医師で」「ローマ帝国内で軍医として働いていた」というところです。

アロマテラピー検定では問われやすいのでしっかり覚えておきたいところ。

ディオスコリデスの『マテリア・メディカ(薬物誌)』は選数百年もの間、写本されながら後世に受け継がれてきました。

最も古いものでは、512年頃に制作されたと言われる、「ウィーン写本」が有名です。

[postlist catid=”453″ btntext=”もっと見る”]

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次
閉じる